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ギャラリーアオキ

フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ (フランス) 1798〜1863。

1798年、パリ近郊のシャラントンに生まれた。父は外交官シャルル・ドラクロワだが、実の父親はナポレオン帝政下などで外務大臣を務め、ウィーン会議のフランス代表として知られるシャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールだといわれている。苗字を分解するとde la croixで、「信仰(信条)に生きる者」を意味する。

ドラクロワは新古典主義の画家ゲランに入門し、1822年『ダンテの小舟』で先輩画家であるグロの強力な推薦もありサロン(官展)に入選した。1824年のサロンには『キオス島の虐殺』を出品する。この作品は当時(1822年)実際に起きた事件を題材にしたもので、サロンでも賛否両論を巻き起こした。グロはこの作品を「これは(キオス島の虐殺ではなく)絵画の虐殺である」とまで酷評したが、結局、作品は政府買上げとなった。1830年の七月革命に際しては、有名な『民衆を導く自由の女神』を制作している。この絵画は彼の肖像と共に、旧フランス・フランの100フラン紙幣に描かれたこともあった。

ドラクロワは1832年、フランス政府の外交使節に随行する記録画家としてモロッコを訪問した。1834年の『アルジェの女たち』は、モロッコ旅行の際のデッサンをもとに制作したものである。1830年代以降は、リュクサンブール宮、パリ市庁舎など、政府関係の大建築の装飾を数多く手掛け、1863年に死去するまで旺盛に制作を続けた。


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 ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」の詳細
民衆を導く自由の女神
1830年
260x325cm 
 ドラクロワ「ユダヤ人の婚礼」の詳細
 ユダヤ人の婚礼
1840年
105x140cm