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ギャラリーアオキ

オノレ・ドーミエ(フランス)1808~1879

市民社会を見つめる目

19世紀フランス、写実主義の画家。都会の労働者や庶民の生活を描くとともに、七月王政・第二帝政を鋭く批判する風刺画を描いた。

 オノレ=ドーミエ Honoré Daumier(1808~1879)は19世紀フランスの美術に生まれた新たな潮流である写実主義の画家の一人とされる。写実主義の美術は1855年にクールベによって提唱され、古典主義(美術)やロマン主義を克服する新しい傾向として登場していた。同時期のミレーは、農村の働く農民を題材として自然主義といわれたのに対して、ドーミエは都会の底辺に生きる貧しい労働者や庶民に観察の目を向け、現実を切り取る絵画を創作した。

ドーミエ『三等列車』 (1860-63)  ドーミエはマルセイユの下町に生まれ、子供のときに父親に連れられてパリに移り住み、生活の苦労を重ねながら、次第に天与のデッサンを育てていった。彼のその才能は、七月王政時代に『カリカチュール』、『シャリヴァリ』などの新聞雑誌の挿絵や石版画にまず発揮された。人物の特徴を思い切って誇張しながら的確に対象を捉える彼の版画は、貧しい人々への共感と権力に対する鋭い批判精神に支えられていた。七月王政の国王ルイ=フィリップに対するあからさまな風刺のために罰金刑の憂き目にもあっている。

 ドーミエが油絵を描くようになったのは40歳を過ぎて、第二共和政のために『共和国の寓意像』のスケッチを発表して好評を博してからで、『三等列車』(1862)、『洗濯女』(1863)など庶民の生活を明暗の対照を強く、鋭い構図で描いた。演劇や文学にも関心を寄せ、晩年には『ドン=キホーテ』に霊感を得た一連の作品を描き、単なる写実主義を越えて人間の運命を見つめるユマニストとしてのドーミエの姿勢が見えてくる。

ドーミエは、風刺版画家として知られるとともに、油彩画家としてもロートレック、ゴッホをはじめ、多くの画家に影響を与えた。
市民の底辺の人たちの暮らしをスナップショットのように切り取り、その苦悩やささやかな喜びを描いている。

このページでは販売できる作品はございません。

当時の風刺画を楽しんでください。


画像をクリックして下さい。
   
洗濯女
1860年
49x33.5cm
三頭車両
1865年
65.4x90.2cm
   
サロン締切直前のアトリエの光景
サロンに間に合わせようと必死になって仕上げている画家の姿。
描かれているのは「ヴィーナスの裸婦」、当時のサロンで批評家や審査員に人気のあったモティーフだが・・・・・・・さて、結果は右⇒
 
 サロン開幕数日後のアトリエの光景
右の男の後ろに「REFUSE(落選)」と書いてある。
当時、画家たちにとってサロンの落選は死活問題だ。
「あー、何てこった!」
   
 日々のカリカチュア75
二人の女性が箒で掃いているのは、下水溝から溢れ出した汚水だ。
当時(1850年頃)、下水が流れるパリの道は、窓から排泄物や生ごみが捨てられ、ゴミ箱のような状態だった。
下水溝は詰まりやすく雨が降ると汚水が逆流し汚くて臭く、裕福な人々は馬車で移動し、決して歩こうとはしなかった。

しかし、階上の窓から排泄物や生ごみが降ってくるとは・・・・・・!
とてものんびり歩いちゃいられませんよ
いやはや、えらいこってすな。
 犬の肖像画を描く画家
ペットを人間と同等に扱うブルジョアのペット愛好を描いたもの。
税金を払いパリ市民となった犬が家族の一員として肖像画を描いてもらっている。
当時はよくある光景で、動物専門の肖像画家がいたそうだ。

犬の肖像画こそ描かないが、ペット愛好は今日の日本のようだ。
パリの街を歩くとあちこちに犬の糞が落ちている、どうして文句が出ないのだろうか?フランス人が特別寛大な人々には思えないのだが。
   
 理想主義と写実主義
パレットを盾に、絵筆を剣に見立てて画家を風刺している。
手前は新古典主義絵画から抜け出てきたようなローマ風の戦士。
一方受けて立つ相手は普段着に木靴といったいでたち。
古代の理想を描こうとする新古典主義者と現実を描く写実主義者の対立を描いたもの。

 製作中の風景画家たち
印象派の画家たちにとって光の移ろいは作品の表現に大きな影響を与えた。
太陽が理想の高さに昇るまで待つことしばし。
ドーミエにとっては、怠け者で怠慢な風景に見えたのだろう。
「早く描かんか!」
   
サロンのスケッチ、影響力のある批評家が歩く
もったいぶってメモをとる批評家に少しでも良い評価を得ようと愛想笑いを浮かべて挨拶する画家たち。
サロンは出品される作品数が多くなかなか批評家の目にとまらないため画家はあの手この手で批評家たちに接した。
 
 女性画家(ガヴァルニ)
当時、芸術を手掛ける女性などは「化け物」のように思われていた。
モデルを使うこともできずデッサンする姿は滑稽と言うより哀れでもある。