1863年は美術界に強烈なショックがもたらされた年である。マネの≪革上の昼食≫がパリの「落選展」に展示されたのだ。森でのピクニックの場面に全裸の女性を配したこの作品は,その大胆さもさることながら,自然と人物とのつながりを実におおらかに,生き生きと表現していて,この点にモネは強い感銘を受けたのである。 モネはまだ22歳であったが,すでに,外光のもとで描く画家として自然の輝かしさを観察し,それを享受する悦びを充分に知る人間となっていた。だからモネは,自分もマネのごとく,悠然とした自然のなかに遊楽する人の姿を描きたいと機会をうかがっていたのである。 ことに1865年,後に妻となるカミーユを恋し始めるに及んで,この気持ちはもはやとどめ難いものとなった。モネはフォンテーヌブローの森近くのシャイイに大型の画布を用意し,マネの作品と同名の≪草上の昼食≫となるべき大作の制作を開始したのである。 背景となすための森の自然が何枚もスケッチされ,ここに呼び寄せられたカミーユと友人の画家バジールとが,登場人物の代役として何通りものポーズをとらされた。だが,あまりにも巨大なこの作品は完成しなかったばかりか,シャイイの宿代のかたに取られてしまい,すっかりいたんで,現在では二つに分けられた部分図が残るのみとなった。 |