仕掛けられた遊び心   ヤン・ファン・エイク

この人、ヤン・ファン・エイクの絵にはいつも驚かされる。とにかく緻密と言おうか細密と言おうか画面の端からは端まで極めて詳細に描かれている。

その事実よりもその精神の強靭さに恐れ入ってしまう。一点の作品を仕上げるのにどれほどの時間を費やすのか想像すると並の人間にはとてもまねができない。

そのうえ、作品にはちょっとした仕掛けがあるのだ。例えば下の作品を観てみよう。この作品は「アルノルフィーニ夫妻の肖像」という二人の結婚の誓いの場面を描いたものだが

中央の奥の壁に丸い鏡がある

この鏡にはターバンを巻いた二人の人物が写っている。どうやら結婚の立会人らしい。そして鏡の上の壁には「ヤン・ファン・エイクここにあり、1432年」と書かれている。おそらくファン・エイク自身も立会人の一人として出席していたのでしょう。

一本だけともされたシャンデリアのろうそく、無造作に床に脱ぎ捨てられたサンダル、そして犬。これらはキリスト教における婚姻や貞節などを意味するものであると言われています。

西洋絵画美術館「アルノルフィーニ夫妻の肖像」

 

モネ「草上の昼食」不思議な展示

上野の東京都美術館で「プーシキン美術館展」始まりました。この展示会ではモネの「草上の昼食」を観覧することが出来ますが、それは油彩によるスケッチです。

モネはこのスケッチをベースにしてアトリエでサロンに出展しようと大作を制作しました。その作品がパリのオルセー美術館に展示してあります。

今日はその作品についてお話ししましょう。                 オルセー美術館では、左に縦長の作品、右に四角く高さの低い作品が展示してあるのですが何とも奇妙な展示に見ます。

この作品、1878年、借家の大家に家賃のかたに取られてしまったとのことです。1884年、モネはこの作品を取り返すのですが作品の傷みがひどいため、その部分を切り取り、残った部分を二つに分けました。左の縦長の部分は何人もの手に渡りルーブル美術館へ寄贈され、オルセーへ、中央の部分はジベルニーのアトリエに掛けてあったものをオルセーにといった具合になり、今日まで中途半端な状態で展示してあるわけです。全体のサイズは418x560(?)cmぐらいではないかと推定されています。

何せ、大きな作品なのでスケッチをもとに室内で描いたわけですから、屋外で光や風を感じながら描く印象主義者のモネとしてはこの作品について不満を持っていたようです。

しかし、大家に家賃のかたに作品を持っていかれてしまったというのもモネらしい逸話ですね。また、大家もずいぶんずさんな管理をしたもので今日のモネの評価を知っていたらこんなことにはならずにすんでいたでしょう。

作品の購入はギャラリーアオキ「草上の昼食」

 

「ジャポニズム」とゴッホ(2)

「僕の作品は、日本人がやったものの上に成り立っている」。そう手紙に書いているゴッホはオランダ時代には「まったく」と言っていいほど「浮世絵」に興味を示しませんでした。

そのゴッホがパリに来て大量の「浮世絵」に接し、強い衝撃を受けたという。確かにパリに来てからのゴッホの作品の色彩は明るく、リズミカルだ。オランダ時代のように暗く、思い込んだような深刻さはありません。多くの批評家は「浮世絵」の明るく大胆な画風と、ストレートで明快な表現に強い刺激を受けた結果であると論評しています。とりわけ南フランスのアルル地方での作品には「光と色彩の国、日本」というゴッホの日本イメージを重ね合わせた試みが随所にみられます。

もちろん「ジャポニズム」はゴッホだけのものではありません。モネやセザンヌ、ルノワールもまた「浮世絵」や陶器、扇子や置物などに刺激を受けた画家たちなのです。

しかし、それでもゴッホの「ジャポニズム」は特別と言っていいでしょう。その思いの強さはゴッホ流で正確に日本をイメージしたものではないかもしれませんが、日本に対する愛情は正真正銘のものに違いありません。だから、日本人はゴッホが好きなのです。ちょっと変わり者だと思われているゴッホですが、それもまたゴッホの魅力ではないでしょうか。

20世紀絵画(西洋絵画美術館)

ゴッホ(ギャラリーアオキ)

ゴッホの手紙(西洋絵画美術館)

寓意画の専門店 ブリューゲル

ピーテル・ブリューゲルと言っても同じような名前の画家がほかにもいます。ブリューゲルは長男にも同じ名前を付けていますし、長男も次男も画家として活躍しています。そして孫までも画家として活躍した家系なのです。今日、紹介するブリューゲルは父のピーテル・ブリューゲルです。

ブリューゲルと言えば「バベルの塔」が有名ですが、この作品は人間の傲慢さに対する天罰(神が人間の傲慢さに怒り、人々の言葉を乱し、工事にストップをかける)という旧約聖書の記述を描いたものです。

バベルの塔

このようにブリューゲルの作品には何らかのメッセージが含まれた寓意画が多いのです。作品は単純で分かりやすいのですが作品に秘められたメッセージを読み解こうとするとなかなか奥行きが深く、多視点からの観察が必要であったりするのです。だから面白いのです。

上の作品は「ネーデルランドのことわざ」という作品です。現在のオランダとベルギーのあたりの「ことわざ」が作品の中にたくさん描かれています。一言でいえば目で見る「ことわざ辞典」のようなものです。

下の作品もキリスト教での祭りの日でもあり敬虔な信仰による厳粛な祈りの日でもあるのにかかわらず、酒を飲み歌や踊りに興じる農民を描いています。これは皮肉ともとれる作品ですが、一方で粗野で無邪気な愛すべき農民としても描いています。

ブリューゲル自身は農民でも農村出身でもなかったのですが多くの農民の生活と農村風景を描いていたので「農民画家」と言われています。

500年の時を超えて現代社会にも通じるものがあり、人間の本質はいつの時代も同じなのだと…つくづく納得してしまいます。

ブリューゲルの作品が見れます。

 

 

「ラス・メニーナス」不思議な構図の面白さ。

ベラスケスの作品 「ラス・メニーナス」(女官たち)

中央の少女は王女マルガリータ、左端の男が画家ベラスケス。

 中央に描かれた鏡に国王夫妻が写っている。

この作品は、大きな鏡の前に集合した王家の集団肖像画ですが、肝心の国王夫妻の姿が見えません。じつは彼らは画面のほぼ中央に掛かる鏡に映っているのです。ということは、画家は国王夫妻を描いていることになり、この絵は国王夫妻の視線がとらえた情景にほかなりません。現に画家が絵筆をもっているのは右手で、鏡に映った姿ではないのです。では、国王夫妻の見ている情景を画家はどのようにして描いたのでしょうか‥‥。

一流の画家がもつチョットした遊び心で描かれたものですがなかなかユニークな発想だと思いませんか。そしてこの作品の主人公王女マルガリータは中央に描かれ、それ以外の人物は全員王女の引き立て役になっているのです。ベラスケスはこうした気遣いにも長けていたようで国王フェリペ4世には大いに気に入られました、こうしたことが宮廷画家となった要因でもあります。

胸の赤いサンティアゴ騎士十字章は画家の死後、弔意を込めて王自身の手で描き加えられたという説もあります。

ベラスケス

西洋絵画美術館「ラス・メニーナス」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」はだれ?

世界一有名な絵「モナリザ」。

monariz

直訳すれば「リサ夫人」となります。イタリア語で「モナ」は夫人の意味なのです。フィレンツェの織物商フランチェス・デル・ジョコンドの夫人「リサ」ではないかと考える人が多く、そのためこの作品は「ラ・ジョコンド」ともいわれています。しかし、ダ・ヴィンチは晩年「ジュリアーノ・デ・メディッチに依頼されて描いたフィレンツェのある貴婦人」と説明しています。当時ジュリアーノはダ・ヴィンチのパトロンでしたからジュリアーノの愛人ではないかとの説も有力です。

しかし、その場合二つの説には疑問が生じます。それではなぜダ・ヴィンチは注文を受けて作成したのに生涯手元に置いていたのでしょうか?

後世の美術評論家などによって様々な仮説が立てられました。このモデルは上の二人ではなく別人ではないかと、それはダ・ヴィンチの「理想の女性像」であるとか幼き頃に生き別れた母親のイメージであるとか・・・・・どれも確証のある話ではありません。いずれにしても謎が残ります。

それでも、この作品はダ・ヴィンチ一人の手によって描かれ後世の加筆もなく未完成ながら完成度の高い作品で保存状態もよく、一度も手放さず生涯持ち歩いたということは自身この作品に並々ならぬ思い入れがあったことは確かです。

結局のところこの作品のモデルがだれかは謎のままですが、それでよいのかもしれません。むしろそのほうが良いのでしょう。

何故なら、様々な謎解きも絵画鑑賞の楽しみの一部なのですから。

 

http://www.artmuseum.jpn.org/mu_monariza.html

 

幸福の画家 ルノワール

「人生は不快なものさ、だからこそ楽しい絵を描くのさ!」

ルノワールの作品のキーワードは「明るく、楽しく、幸福な」といった感じでしょうか。あまり深刻に感じるような作品は観たことがありません。しかしかといって賑やかにはしゃいだ作品を描いたわけではありません。そこにはルノワール独特の優美さがあります。「明るく楽しい」中にも洗練された上品さと少し控えめな華やぎとほんのりと香る香水のような深みがあるのです。どうですか日本人の美意識と共通したものを感じませんか。その辺がモネと並んで日本人に人気がある要因ではないでしょうか。

13歳で磁器の絵付け師の見習いとなったのが画家へのファーストステップ、20歳で画家になる決心をしモネやシスレー、セザンヌなどと知り合うことになり、やがて印象派の一人として技法を確立します。が再び自身のスタイルを模索するようになりと試行錯誤を繰り返し1879年サロンに入選したのがきっかけとなって上流階級に認められるようになりました。

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「ピアノの前の少女たち」             「春の花束」

明るく楽しいものに目を向ける事が人生の辛さから逃避しているのではなく、前向きに生きることの大切さを教えてくれているのではないでしょうか。

ルノワール作品

 

アルチンボルド 何だこりゃ!

アルチンボルドって誰? 正しくはジョゼッペ・アルチンボルド、1527年に生まれた画家です。
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何だこりゃ!  何ともユニークな作品です。 1590年の作品でタイトルが「庭師」。
ハプスブルク家の宮廷画家でもあったアルチンボルドは宮廷に出入する庭師の顔からイメージしたものらしいのですが、そのユニークな発想につい笑ってしまいます。
アルチンボルドはこの種の作品をたくさん残しています。
下の作品もそうしたなかの一つです。タイトルは「司書」。 おそらく宮廷につかえる法律家または文書記録係のような存在なのでしょうが「書物ばかりを見て理屈っぽく、融通のきかない堅物」といった寓意的な意味合いが多分に含まれているようです。
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近代においては奇想天外な作品をよく見かけますが、その作品に芸術性を見出すことができるものは少ないように思えます。
しかし、アルチンボルドの作品からは芸術的な「奇想」が感じられるのです。その素材(野菜や魚、草木や動物)の観察力と描写の繊細さは特に際立っています。
単に奇をてらった描いた絵画ではなく非常に高い表現力に裏打ちされた底力を感じます。

謎多き画家 フェルメール

ヨハネス・フェルメールは400年ほど前にオランダのデルフトで生まれました。

「真珠の首飾りの少女」は彼の代表作で、日本にもフェルメールファンは多く、展覧会はいつも盛況です。でも、150年ぐらい前まではほとんど知られていなかった画家なのです。作品も30点ぐらいしか残っていませんし彼に関する資料もほとんどありません。作品の多くは人物画ですが寓意的作品が多くチョット意味深な構図です。

そんなフェルメールの作品の一つにフェルメールが死ぬまで手放さなかった謎の作品「絵画芸術の称賛」があります。「画家のアトリエ」とも呼ばれています。

kaiga 「絵画芸術の称賛」

kaiga2 部分

この作品の何が謎なのでしょうか?

モデルが右手にラッパを持ち、左手には厚い本を持ち頭には葉っぱのような物がのっています。いったい何の真似でしょうか?机の上には仮面のようなものが置いてあります。そして後姿の画家はフェルメール自身なのでしょうか?正面の壁にはオランダの地図がかけられています。これは明らかに寓意的に描かれた作品です。

女性はギリシャ神話の女神の一人クレオだと言われています。歴史の神だそうです。左手に持つ本は歴史を記録するためのものだと。また、女神とラッパは古典作品に多く描かれていますし頭の上に乗っているものは月桂冠です。だからこの女性はクレオであるというのですが。しかし、それも諸説の中の一つに過ぎません。このように謎の小道具をいくつも描きフェルメールは何を言いたかったのでしょうか。

こうしたフェルメールの作品は後世の鑑賞者の想像力を刺激し「どうだ、この絵の謎が解けるかな?」と言っているようです。

あなたはどう思いますか?フェルメールの作品にはこのように謎解きのような作品がいくつもあります。また、自身の経歴も良く分からない謎の人物なのです。

また、彼が亡くなった時にはまだ小さな子どもが8人もいたそうですが家族や自分自身を描いた作品は一枚も見つかっておりません。

フェルメールのページ

「絵画芸術の称賛」のページ

 

 

 

 

ラファエロ前派ってどういう意味?

19世紀中頃までのイギリスの画壇の中心、特に王立アカデミーなどはイタリア・ルネサンスの巨匠ラファエロなどを模範としていました。題材もギリシャ神話やローマ神話、または聖書などから選ばれていました。しかし、そうした古い体制に不満を持ち異を唱えた若い画家たちによってラファエロ以前、ルネサンス初期の自由で素直な表現に戻ろうと考え「ラファエロ前派」が生まれました。(ルネサンス初期の作品が自由で素直な表現とは一概には言えない気がしますが)

その中心になったのがミレイ、ハント、ロセッティの三人でした。彼らはシェークスピアなどイギリス文学や詩、そして家族の日常の風景を描き、それらは多くの人の支持を受けました。

oheria1 ミレイ 「オフェリア」

しかし、「王立アカデミー」を批判していた「ラファエロ前派」であったにも関わらづミレイがその準会員に選ばれたのを機に「ラファエロ前派」は内輪もめにより解散となりました。結局このグループは結成後数年で消えてしまったのです。

「ラファエロ前派」がめざす絵画芸術というものがいったいどういうものであったのかいろいろ論評はあるものの、しかし、明確な定義などがあったわけでもなく単に既存の勢力批判に集中していたのではないでしょうか。いつに時代も若い人たちは古い体制には批判的になります。ミレイも1896年には「王立アカデミー」の会長となり間もなく世を去りました。

haru1 ミレイ 「春」

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