アンリ・マティスは、1869年フランス北部のル・カトー・カンブレジの商店の子としてに生まれる。
子供時代のマティスは絵にあまり興味がなく、将来は法律関係の仕事に就きたいと考えていたようだ。
しかし、体があまり丈夫ではなく、特に胃腸が弱かったことで一年間の療養生活を経験した。
その時に母親が気晴らしのために買い与えた油絵道具一式が彼の人生を大きく変えたのである。
風景や、静物を描くうちに次第に絵の魅力に取りつかれ、やがて画家になることを決心する。
1891年、絵画の勉強をするためにパリに旅立つのだが、父親は苦々しい思いで息子を見て「パリで飢え死にすることになるぞ」と言ったという。
その後のパリでの生活は父親が予見した通り貧窮にあえぐ生活が続いた。そうした彼を支えたのは
学生時代に知り合って結婚した妻アメリーだった。明るい性格のアメリーは服飾店で働き生活費を稼ぎだしマティスはポスト印象派の作品研究に没頭することが出来たのである。
1905年、パリの美術展で「もっとも醜い絵」と酷評する批評家もいたが、荒々しく「野獣的」との表現が多くの人の興味をひき、マティスの名は広まった。
マティスの自由で開放的な作風が、先進的なアメリカ人やヨーロッパ人に受け入れられて、その独特な色彩感覚と平面的な構図が楽しくて明るい斬新な作品として多くの人の評判を得ることとなったのである。
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赤の調和・赤い部屋 1908年 |
会話 1908年 |
エトルリアの壺のある室内 1940年 |
大きな横たわる裸婦 1935年 |
黄色いドレスとチェックのドレスの女性 1941年 |
模様地のなかの装飾的人体 1925年 |
夢 1940年 |
金魚 1912年 |
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