第四回印象派展

第1回、第2回、第3回と開催し、いよいよ世間に認知されてきた「印象派展」ではあるが相変わらず批評家たちの論評は手厳しい、それが大衆の好奇心をあおり多くの場面で「印象派」という言葉が飛び交うようになってきた。

しかし、絵の売れ行きはというと「いまいち」という現実がある。特に熱心なコレクターであったエルネスト・オシュデが破産したことはモネやルノワールだけではなく「印象派展」に参加していた多くの画家たちにも衝撃を与えた。

思ったほど作品が売れない現実に耐えきれずサロン(官展)に軸足を移して行く画家たちも多く、ドガはそうした彼らに「絵を売ることにしか興味がない画家」と非難し、互いに非難の応酬となった。

そうした中、ルノワール、セザンヌ、シスレーなどはサロンを選んだ。また、ギヨマン、モリゾは不参加を表明し、モネは作品は展示したものの一度も展覧会に出席していない。まさに、分裂の危機であった。

それでも何とか開催にこぎつけたのはピサロの粘り強い説得とカイユボットの経済力によるところが大きい。そしてこの展覧会には新しくゴーギャンが加わった。

ルノワールやセザンヌ不参加の穴を埋めるため新しく加わったメンバーによって作品の統一感が「第一回印象派展」のようにバラバラなものになってしまったが展覧会の入所者数は1万5千人と前回の倍近くとなり、絵の売れ行きも増えて「第四回印象派展」は大成功を収めることとなった。ピサロやカイユボットの努力が報われたのである。

モネ「サン・タドレスのテラス」
1867年 129.9x98.9cm

モネはしぶしぶ参加したと言われているが28点もの作品を出品している。やはり「印象派展」を潰してはならないという思いは他の画家たちより強いものがあったのではないか。

メアリー・カサット「桟敷席にいる真珠の首飾りをした女性」
1879年 81.3x59.7cm

メアリー・カサットは初参加、アメリカ人女性であることからパリの観衆の目を集め批評家たちからも高評価を得た。モデルは姉のリディア・カサット。

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