1874年の印象派展に失敗し負債を抱えた「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社」は同年12月にあっけなく解散してしまった。
しかし、彼らはめげることなく二回目のグループ展を企画していた。その資金集めのために彼らの作品をオークションにかけたのだが、ほとんど値が付かず結果は惨憺たるものだった。その資金難を解消したのがモネとルノワールの推薦で参加したカイユボットだ。カイユボットは資産家の出身で彼の資金提供により、その後の「印象派展」開催に多大な力となった。
1876年春、二回目のグループ展「参加者全員の名前・・・による第二回絵画展」を開催した。参加者は19名、絵画のみの展示で前回よりグループ展の方向が明瞭になった。作品数は252点で、中でもドガの出展数は24点と目立っていた。
下の作品は当時好意的に評価された作品
下の作品は酷評されたルノワールの「陽光の中の裸婦」
下の作品はルノワールの「陽光の中の裸婦」だが、批評家には不評で「腐乱した死体のようだ」などと酷評された。木漏れ日が斑点のように描かれた裸婦はルノワールの試験的な作品で「習作」と題名をつけて展示したにもかかわらず、その真意を理解してもらえなかったようだ。第一回グループ展でもモネの「印象・日の出」が批判されたように何事も新しい試みが受け入れられるようになるには高いハードルを越える努力が必要なのだ。
まずまずの成功
この第二回グループ展は比較的順調に売り上げを伸ばし、画家たちの出資金も回収されて、わずかな額ではあるが配当金まで手にすることが出来た。