ボッティチェリは1444年、イタリアのフィレンツエ生まれ。本名はサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペービ。ボッティチェリとは通称で「小さな樽」と言い、樽のように太っていた長兄のあだ名であったのですが、それを受け継いだということらしいです。
ボッティチェリは当時のフィレンツエの支配者メディチ家の庇護を受けることによって一躍画壇の寵児となり次々と名作を作り出していきました。
そのメディチ家支配によるフィレンツエ・ルネサンス華やかかりしころの作品が「プリマヴェーラ」(春)と「ヴィーナスの誕生」です。
ボッティチェリは陽気な性格で冗談やチョットしたいたづらなどで人々を笑わせ友人も多かったと言われています。また、知識欲も旺盛でメディチ家に集まった知識人とも交流が深く神話や哲学、詩の朗読などに夢中になり、そうしたことが作品の傾向によく表れています。
また、下の作品は「東方三博士の礼拝」ですがメディチ家一族5人をこの作品に描きこんでいます。まるで集団肖像画のようなものです。でもこのアイデアはなかなか面白いですね。
最も右にいてこちらを見ているのがボッティチェリ本人だと言われています。
ボッティチェリとしてはこうした作品を描くことによってメディチ家一族のご機嫌をとることも必要だったのでしょう。