gallery-aoki のすべての投稿

「ラス・メニーナス」不思議な構図の面白さ。

ベラスケスの作品 「ラス・メニーナス」(女官たち)

中央の少女は王女マルガリータ、左端の男が画家ベラスケス。

 中央に描かれた鏡に国王夫妻が写っている。

この作品は、大きな鏡の前に集合した王家の集団肖像画ですが、肝心の国王夫妻の姿が見えません。じつは彼らは画面のほぼ中央に掛かる鏡に映っているのです。ということは、画家は国王夫妻を描いていることになり、この絵は国王夫妻の視線がとらえた情景にほかなりません。現に画家が絵筆をもっているのは右手で、鏡に映った姿ではないのです。では、国王夫妻の見ている情景を画家はどのようにして描いたのでしょうか‥‥。

一流の画家がもつチョットした遊び心で描かれたものですがなかなかユニークな発想だと思いませんか。そしてこの作品の主人公王女マルガリータは中央に描かれ、それ以外の人物は全員王女の引き立て役になっているのです。ベラスケスはこうした気遣いにも長けていたようで国王フェリペ4世には大いに気に入られました、こうしたことが宮廷画家となった要因でもあります。

胸の赤いサンティアゴ騎士十字章は画家の死後、弔意を込めて王自身の手で描き加えられたという説もあります。

ベラスケス

西洋絵画美術館「ラス・メニーナス」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」はだれ?

世界一有名な絵「モナリザ」。

monariz

直訳すれば「リサ夫人」となります。イタリア語で「モナ」は夫人の意味なのです。フィレンツェの織物商フランチェス・デル・ジョコンドの夫人「リサ」ではないかと考える人が多く、そのためこの作品は「ラ・ジョコンド」ともいわれています。しかし、ダ・ヴィンチは晩年「ジュリアーノ・デ・メディッチに依頼されて描いたフィレンツェのある貴婦人」と説明しています。当時ジュリアーノはダ・ヴィンチのパトロンでしたからジュリアーノの愛人ではないかとの説も有力です。

しかし、その場合二つの説には疑問が生じます。それではなぜダ・ヴィンチは注文を受けて作成したのに生涯手元に置いていたのでしょうか?

後世の美術評論家などによって様々な仮説が立てられました。このモデルは上の二人ではなく別人ではないかと、それはダ・ヴィンチの「理想の女性像」であるとか幼き頃に生き別れた母親のイメージであるとか・・・・・どれも確証のある話ではありません。いずれにしても謎が残ります。

それでも、この作品はダ・ヴィンチ一人の手によって描かれ後世の加筆もなく未完成ながら完成度の高い作品で保存状態もよく、一度も手放さず生涯持ち歩いたということは自身この作品に並々ならぬ思い入れがあったことは確かです。

結局のところこの作品のモデルがだれかは謎のままですが、それでよいのかもしれません。むしろそのほうが良いのでしょう。

何故なら、様々な謎解きも絵画鑑賞の楽しみの一部なのですから。

 

http://www.artmuseum.jpn.org/mu_monariza.html

 

写真より細密な描写、 ヤン、ファン、エイク

イタリアルネサンスと聞いて「ダ・ヴィンチ」や「ミケランジェロ」の躍動感あふれる作品を思い浮かべる人は多いと思います。しかし、それより以前フランドル地方(現在のベルギー)にイタリアルネサンス期の作品を超越する描写力で驚くほどの作品を描いたヤン・ファン・エイクという画家をご存知でしょうか。

alnorufini

上の絵はヤン・ファン・エイクの「アルノルフィニー夫妻の肖像」です。1434年に描かれた作品ですが目を凝らして細部を見ると精緻極まる描写に驚かされます。

下の絵は夫妻の間の凸面鏡部ですが凸面鏡の中央には戸口にターバンを巻いた二人の人物が描かれています。壁には「ヤン・ファン・エイクがここにありき1434年」と書かれています。おそらくファン・エイク自身が結婚の立会人の一人としてその場にいたのでしょう。そして、作品には洋服の質感や床の木目など細部に至るまで非常に丁寧に描かれています。また、画面に描かれたサンダルや犬、シャンデリアのろうそくなどには宗教的な寓意が含まれているそうです。なにやらこの作品には現代人には分からない謎めいたメッセージが描かれているようです。

alnorufini2

西洋絵画美術館「アルノルフィニー夫妻」

 

幸福の画家 ルノワール

「人生は不快なものさ、だからこそ楽しい絵を描くのさ!」

ルノワールの作品のキーワードは「明るく、楽しく、幸福な」といった感じでしょうか。あまり深刻に感じるような作品は観たことがありません。しかしかといって賑やかにはしゃいだ作品を描いたわけではありません。そこにはルノワール独特の優美さがあります。「明るく楽しい」中にも洗練された上品さと少し控えめな華やぎとほんのりと香る香水のような深みがあるのです。どうですか日本人の美意識と共通したものを感じませんか。その辺がモネと並んで日本人に人気がある要因ではないでしょうか。

13歳で磁器の絵付け師の見習いとなったのが画家へのファーストステップ、20歳で画家になる決心をしモネやシスレー、セザンヌなどと知り合うことになり、やがて印象派の一人として技法を確立します。が再び自身のスタイルを模索するようになりと試行錯誤を繰り返し1879年サロンに入選したのがきっかけとなって上流階級に認められるようになりました。

piano1   harunohana

「ピアノの前の少女たち」             「春の花束」

明るく楽しいものに目を向ける事が人生の辛さから逃避しているのではなく、前向きに生きることの大切さを教えてくれているのではないでしょうか。

ルノワール作品

 

アルチンボルド 何だこりゃ!

アルチンボルドって誰? 正しくはジョゼッペ・アルチンボルド、1527年に生まれた画家です。
niwashi
何だこりゃ!  何ともユニークな作品です。 1590年の作品でタイトルが「庭師」。
ハプスブルク家の宮廷画家でもあったアルチンボルドは宮廷に出入する庭師の顔からイメージしたものらしいのですが、そのユニークな発想につい笑ってしまいます。
アルチンボルドはこの種の作品をたくさん残しています。
下の作品もそうしたなかの一つです。タイトルは「司書」。 おそらく宮廷につかえる法律家または文書記録係のような存在なのでしょうが「書物ばかりを見て理屈っぽく、融通のきかない堅物」といった寓意的な意味合いが多分に含まれているようです。
shisyo
近代においては奇想天外な作品をよく見かけますが、その作品に芸術性を見出すことができるものは少ないように思えます。
しかし、アルチンボルドの作品からは芸術的な「奇想」が感じられるのです。その素材(野菜や魚、草木や動物)の観察力と描写の繊細さは特に際立っています。
単に奇をてらった描いた絵画ではなく非常に高い表現力に裏打ちされた底力を感じます。

謎多き画家 フェルメール

ヨハネス・フェルメールは400年ほど前にオランダのデルフトで生まれました。

「真珠の首飾りの少女」は彼の代表作で、日本にもフェルメールファンは多く、展覧会はいつも盛況です。でも、150年ぐらい前まではほとんど知られていなかった画家なのです。作品も30点ぐらいしか残っていませんし彼に関する資料もほとんどありません。作品の多くは人物画ですが寓意的作品が多くチョット意味深な構図です。

そんなフェルメールの作品の一つにフェルメールが死ぬまで手放さなかった謎の作品「絵画芸術の称賛」があります。「画家のアトリエ」とも呼ばれています。

kaiga 「絵画芸術の称賛」

kaiga2 部分

この作品の何が謎なのでしょうか?

モデルが右手にラッパを持ち、左手には厚い本を持ち頭には葉っぱのような物がのっています。いったい何の真似でしょうか?机の上には仮面のようなものが置いてあります。そして後姿の画家はフェルメール自身なのでしょうか?正面の壁にはオランダの地図がかけられています。これは明らかに寓意的に描かれた作品です。

女性はギリシャ神話の女神の一人クレオだと言われています。歴史の神だそうです。左手に持つ本は歴史を記録するためのものだと。また、女神とラッパは古典作品に多く描かれていますし頭の上に乗っているものは月桂冠です。だからこの女性はクレオであるというのですが。しかし、それも諸説の中の一つに過ぎません。このように謎の小道具をいくつも描きフェルメールは何を言いたかったのでしょうか。

こうしたフェルメールの作品は後世の鑑賞者の想像力を刺激し「どうだ、この絵の謎が解けるかな?」と言っているようです。

あなたはどう思いますか?フェルメールの作品にはこのように謎解きのような作品がいくつもあります。また、自身の経歴も良く分からない謎の人物なのです。

また、彼が亡くなった時にはまだ小さな子どもが8人もいたそうですが家族や自分自身を描いた作品は一枚も見つかっておりません。

フェルメールのページ

「絵画芸術の称賛」のページ

 

 

 

 

ラファエロ前派ってどういう意味?

19世紀中頃までのイギリスの画壇の中心、特に王立アカデミーなどはイタリア・ルネサンスの巨匠ラファエロなどを模範としていました。題材もギリシャ神話やローマ神話、または聖書などから選ばれていました。しかし、そうした古い体制に不満を持ち異を唱えた若い画家たちによってラファエロ以前、ルネサンス初期の自由で素直な表現に戻ろうと考え「ラファエロ前派」が生まれました。(ルネサンス初期の作品が自由で素直な表現とは一概には言えない気がしますが)

その中心になったのがミレイ、ハント、ロセッティの三人でした。彼らはシェークスピアなどイギリス文学や詩、そして家族の日常の風景を描き、それらは多くの人の支持を受けました。

oheria1 ミレイ 「オフェリア」

しかし、「王立アカデミー」を批判していた「ラファエロ前派」であったにも関わらづミレイがその準会員に選ばれたのを機に「ラファエロ前派」は内輪もめにより解散となりました。結局このグループは結成後数年で消えてしまったのです。

「ラファエロ前派」がめざす絵画芸術というものがいったいどういうものであったのかいろいろ論評はあるものの、しかし、明確な定義などがあったわけでもなく単に既存の勢力批判に集中していたのではないでしょうか。いつに時代も若い人たちは古い体制には批判的になります。ミレイも1896年には「王立アカデミー」の会長となり間もなく世を去りました。

haru1 ミレイ 「春」

ミレイの作品はこちらから

 

ボッティチェリってどんな人?

ボッティチェリは1444年、イタリアのフィレンツエ生まれ。本名はサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペービ。ボッティチェリとは通称で「小さな樽」と言い、樽のように太っていた長兄のあだ名であったのですが、それを受け継いだということらしいです。

ボッティチェリは当時のフィレンツエの支配者メディチ家の庇護を受けることによって一躍画壇の寵児となり次々と名作を作り出していきました。

そのメディチ家支配によるフィレンツエ・ルネサンス華やかかりしころの作品が「プリマヴェーラ」(春)と「ヴィーナスの誕生」です。

purimber venus

ボッティチェリは陽気な性格で冗談やチョットしたいたづらなどで人々を笑わせ友人も多かったと言われています。また、知識欲も旺盛でメディチ家に集まった知識人とも交流が深く神話や哲学、詩の朗読などに夢中になり、そうしたことが作品の傾向によく表れています。

また、下の作品は「東方三博士の礼拝」ですがメディチ家一族5人をこの作品に描きこんでいます。まるで集団肖像画のようなものです。でもこのアイデアはなかなか面白いですね。

最も右にいてこちらを見ているのがボッティチェリ本人だと言われています。

touhousanhakusi

ボッティチェリとしてはこうした作品を描くことによってメディチ家一族のご機嫌をとることも必要だったのでしょう。

ボッティチェリの作品

無頼画家カラヴァッジョ

今日はイタリアの画家カラヴァッジョについて書いてみたいと思います。
カラヴァッジョは日本で織田信長が武田信玄と争っているころにイタリアのミラノで生まれました。1571年のことです。
彼は二つの点において有名な画家でもあります。一つは殺人者で無頼漢なこと、もう一つは闇と光の天才画家であったことです。
刀剣を持ち盛り場をうろつき酒に酔い行く先々で乱闘騒ぎを起こし挙句の果てに殺人まで犯してしまう画家は後にも先にも彼一人ぐらいではないでしょうか。しかし一方ではキリストをテーマに光と闇を操る天才画家として名高い画家でもあったのです。kirisutonohobaku
この絵はキリストがローマ兵に捕縛される瞬間を描いた作品です。
画像が暗く小さいため分かりにくいかもしれませんが弟子のユダがキリストに接吻するのを合図に兵士がなだれ込んできた瞬間が描かれています。闇の中にそれぞれの顔が浮かび上がり混乱の様と一人静かなキリストの表情とのコントラストがうまく表現されてます。
こうした闇と光の技法はやがてレンブラントやフェルメールなどに引き継がれてゆきます。
この作品は400年もの間行方不明になっていたものです。アイルランドの修道院で奇跡的に発見されたのですが画面右端の男はカラヴァッジョ自身ではないかと言われています。

日本人はモネが好き(3)

モネと睡蓮

モネといえば「睡蓮」といえるほど多くの作品を残しています。ジヴェルニーに移り住んだ晩年に描いたものです。
数年前、ジヴェルニーのモネの家を見学しましたが、室内の壁には多くの「浮世絵」が飾ってあり当時のジャポニズムの一端を見るようでした。
また、庭の一部の「睡蓮の池」は明らかに日本をイメージしたものの様に思えました。
モネは「睡蓮」の何を描きたかったのでしょうか?それは、睡蓮そのものではなく睡蓮の池の水面に反射して見える別世界のイメージではないでしょうか、一見単調に見えるその風景も季節や時間、その日の天候や気温、周囲を飛び交う虫や小動物の音と匂い、それらがモネの小宇宙となって脳裏にイメージされるのでしょう。まさに印象派の真髄といえます。
suiren5
パリ・オランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」は圧巻でした。
モネの「睡蓮」を飾るためだけに作られた楕円形の二つ部屋に巨大な作品が壁一面に展示されています。
作品8点による連作です。
自身が作り上げた「睡蓮の池」に魅了され、晩年、精魂こめて描き上げた大作。
suiren6
すでに二人目の妻アリスは世を去り、息子ジャンもまた先立ってしまった。自身は白内障を患い、手術で回復したとはいえ苦難の中にあった。
そうした逆境の中、睡蓮の展示を計画し、大作に挑戦したモネの「睡蓮」に対する強い執着心が筆に神の力を与えたといえるでしょう。
しかし、モネ自身もまた自ら計画し夢に見たこの美術館での展示には間に合わず「睡蓮の部屋」が完成する1年前に他界しました。
享年86歳。